「感想が欲しい」という動機を妙に下に見る人がいてもにょる

この記事で書きたいことは、


・創作の動機に貴賤はなく、「感想欲しい」でも「お金欲しい」でも全て立派な動機
・人の動機にケチをつけるのは間違っている
・創作者にストイックさを押し付けるべきではない
・他の人はどうか知らないが私は気軽に感想書く


以上です。


こんなまとめを読みました。


togetter.com


元ツイートのラノベ作家の人については、「そういうこともあるだろうなあ」と思いました。「読者の反応が昔より少なくなってしまった」「昔程感想を引きだせなくなった」というのは、創作者にとって筆を折る理由に足る。そういうことなんだろうな、と。

私も自分で創作するようになって初めて分かったんですが、創作って何も見えない闇夜の中で全力疾走するようなものでして。「自分が書いているこれは正しいのか?」「自分が書いているこれは面白いのか?」って本当の本当に手探りで不安で、そしてよく分からないものなんですよ。自分がどっちに向かって歩いているのかよく分からなくなる。自作を「客観的に評価する」なんて、誰にとっても不可能なんです。

それでも私なんかは脳みそが割と単純に出来ていますし、プライドなどゼロを通り越してマイナスに達しているので、自作を読めば「ええやん」と思いこむことが出来るんですが。自分に厳しい人であれば厳しい人である程、「これは本当に面白いのか?」という点について不安になるのだろうと思います。創作って、不安の塊です。

だから、創作者にとって「読んでくれた人の声」って滅茶苦茶大きいんですよ。闇夜にランプを渡してもらったくらい、読者の声って救いの声なんです。それがどんな内容だろうと、です。

「商業作家なら売り上げを指標にしろよ」っていう人の言いたいこともまあ分からないではないんですけど、それはそれこそ人それぞれであって、少なくとも私は「売上だけ見てれば十分だろ」とはとても言えません。感想がこなければ闇夜の中に立っている気になる、というのは、プロだろうがアマチュアだろうが、どんな創作者でも同じだと思います。

だから、「感想が少なくなった」ということを致命的なダメージとして受け取る人のことを、私は笑えません。「感想が欲しい」というのは、ごくごく自然かつ当然で、しかも誰にとっても当たり前の、誰にも笑うことのできない動機だと思います。


私がちょっと気になったのは、

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こういう、なんていうか当然のように「動機に貴賤をつける」人がどうも結構な数いるらしいことなんですよね。「承認欲求」を下に見てる。「創作したい」「書きたい」という純粋な欲求を上に見てる。

それってなんかおかしいと思うんですよね。動機なんて人それぞれ、どんな動機だろうとケチをつけられるいわれはない筈なのに、なんでそんな、「誰からも顧みられなくても創作を続ける人の尊さ」みたいなことを押し付けられないといけないんでしょうか、と。

いや、まるで見返りがなくてもストイックに書き続けられる人って凄いですよ?それは私もそう思います。反応が全くなくても構わず、ただ「表現したい」という欲求にだけ突き動かされる人。それは確かに美しい物語です。


けど、それを人に押し付けるのって、何かを売って生活している人に対して「金目当てかよ」という言葉を投げつけるのと何が違うんですかね?


お金をもらわなくては生きていけないのと同様、感想がもらえなければ創作を続けられない人がいても全然おかしくないじゃないですか。それを否定すること、「ストイックさ」を押し付けることを、私は随分理不尽な話だと感じます。

感想を書く書かないなんてことは人それぞれ自由なんですから、「だから感想を書いて下さい」なんて言いませんが、少なくとも「感想が欲しいというのも立派な動機であって、そこに貴賤はない」ということだけは言っておきたいなーと、そう思ったんです。


私自身の話をすれば、私はエロ小説書きですがエロ小説を読むのも好きなので、エロ小説を読んだ時には、なるべく気軽かつ軽率に感想を書いていきたいと思ってはおります。「エロかった!!」の一言であっても、その一言が誰かを救うこともあるかも知れない、と。


創作者の端くれとしては、そう思うんですよ。