そなたの評価、そのちんちんに聞くが良い

タイトル頭おかしいと思うが私は謝らない!!!


これ多分すごく大事な話だと思うんだけど、「評価軸を全面的に他者に任せるのってすごく危険」だなーと思う。


例えば創作をする。小説を書く。あるいはブログを書く。


音楽を作る、絵を描く、手芸をする。


なんでもいいと思うのだが、とにかく何か作品を世に送り出すとする。この時、もちろん一番ハッピーなのは、色んな人がその作品を受け取って、色んな人に「素晴らしい!」とか「これ好き!」とか褒めてもらえることなのだろうけど、これがなかなかそういうわけにいかない。


「誰かの目に留まる」「それが評価してもらえる」には、もちろん作品の出来次第でもあるが、それ以外の要素も色々ある。タイミングもあれば運もあるし、「どの層に発見してもらえるか」という問題もある。実際、「どうしてこんな面白い作品が誰にも観られてないんだ!!??」と思うことも、「すっごい評価高いけど、そこまで、うーん…?」という作品もある。


受け取り手の好みや感性を、作者が明確に掴むことはとても困難だ。なぜなら受け取り手というのは「特定の誰か」ではなく「不特定多数の何か」だから。作者がものすごーく自信があり、手ごたえがあった作品が全く受けず、一方手癖で書いた適当な作品がやたら受ける、というのは全く珍しいことではない。


つまり、「受けるかどうか」ということのトリガーを、極論作者はもっていない。


その状態で、「受けるかどうか」ということに、自分の全ての評価をゆだねてしまうことはとても危険だ。生殺与奪の権限を他人に預けていることに等しい。結果、受けると思った作品が全く受けず、手に入れたい評価が手に入らずに、焦りや嫉妬で暗黒面に堕ちていった人を、私はたくさん知っている。


ということは、何か作品を作る人は、「他人の評価」以外に自作を測れる方法、自分に対する評価基準を何かしら持っておくべきだ、ということが一つ言えるような気がする。


ところで、ここから話は一気に低俗な内容になるのだが、私は自分が書いたエロ小説で興奮出来る人である。


世の中には二種類のエロ小説作家しか存在しない。つまり、自作で興奮出来るエロ小説作家と、自作で興奮出来ないエロ小説作家である。


上で書いた「他社の評価とは別の評価軸を持つ」という意味で、「自作で興奮出来るエロ小説作家」には一つ物凄い強みがあると思う。つまり、「お前はその作品で抜けるのか?」という問いだ。それに対して力強く「イエス」で答えられる作家は強い。ほかの誰の性癖に刺さらなかったとして、この作品は俺の性癖に刺さるのだ!!!!これ程確かな評価軸が他にあるだろうか?


エロ小説を書くにあたって、「自分はこれで興奮出来るのか?」というのは常にエロ小説作家が問うべき質問であるように思うし、エロ小説作家は常に自分に刺さるツボを自作に潜ませていくべきなのではないかと、少なくとも私は今後もそうしていきたいと考える次第なのである。


ということで今日もエロいの書く。