「どんでん返し」を隠してもそもそも読んでもらえなければ何の意味もない
twitter.comネタバレなのは分かるんだけど昔ミステリ専用棚作ってた経験から言うと、「どんでん返し」って書くだけで売上違うんよ😂
— 杉岡@書店員 (@sugiokabook) 2020年5月19日
古書福袋とか作ってた時もあるけど「どんでん返し詰め合わせ」が速攻でなくなるから何十個も作ったし
だから版元も帯とかに書くんだと思うんだよね
これ多分、ノクターンに書く前だと違った印象を持っていたかも知れない。つまり、「本の帯でネタバレをしてしまう問題」。叙述トリックだとか、どんでん返しだとか、その作品の面白さの枢要に属するようなところを最初に書いてしまうと、まだ読んでいない人の楽しみを奪ってしまうんじゃないか、という話。
これについては、Twitterでも色んな方に教えて頂いたのだけど、
「ケチるとそもそも読まれない」
ということが全てなんだろうなあ、と思った。
一番美味しいところを隠したい、一番美味しいところをたくさん味わってほしい、びっくりして欲しい、という気持ちは分かる、すごく分かる。けれど、隠すと観測されないのだ。まず手にとってもらえないのだ。美味しいおやつは、地面に埋まったまま発見してもらえないと、ただの腐ったおやつになってしまうのだ。
「美味しい部分を隠しておいて、読んだ時びっくりしてもらう」という贅沢な楽しみが許されるのは、既に十分なネームバリューがある作者さんの作品だけだ。そしておそらく、そういったネームバリューのある作者さんの作品ですら、届かない層には届かない。
自分で書いていてわかったことなんだけど、「一番美味しい部分はあらすじで公開しろ」というのは100%正解だ。何か衝撃的な展開があるのなら、その衝撃を事前に公開しておくべきだ。ネタバレがどうとかそういう問題ではない、「こんな衝撃的な展開がある!!」と謳っておけば、そういう衝撃的な展開が好きな人には観測してもらえる可能性がある。だが、それを隠しておいても、誰にも観測されずに埋もれるだけだ。
一方、「衝撃的な展開がある!」と最初に謳っておくと、「いつそういう展開になるんだ!?」というドキドキ感を味わってもらえる、という効果もある。ちょっと前、100日後に死ぬワニとかの時にもそんな話になった。
twitter.com100日後に死ぬワニが本当に100日近く盛り上がってるのを見て、「ヒッチコックの映画術」は本物なんだなと改めて感心しっぱなしである。 pic.twitter.com/8n3mGeaqYI
— 工藤義智 (@yoshitomo_kudou) 2020年3月17日
これも、「最後に死ぬよ」ということが明示されていなければ、どれだけの人があの作品を読んだのかなーという話だと思う。ある意味では展開のネタバレ以外のなにものでもないのだが、あの作品のタイトルについて「ネタバレすんな!」と怒っている人を観測した記憶はない。
いずれにしても、ネタバレを気にする人には申し訳ないとは思うのだが、ネタバレを気にして作品が埋もれても誰も責任をとってはくれないし、その分のお金を払ってもくれないのだ。
とすれば、ネタバレなど一切気にせず、どんどん美味しい所を公開していき、それで読んでくれる人にリーチしていくべきではないかと。
そんな風に思った。
全然関係ないけど「次回、「城之内死す」もその辺考えると成功例なんじゃないかなーとふと思った。いやまあ遊戯王なんてもともとお化けコンテンツなんだからそんなこと気にしなくてもみんなに見てもらえるんだろうけど。