エロ動画で抜くかエロ小説で抜くかという話と、エロ表現への感性のピント合わせという話

非常に卑俗な話で申し訳ないのだが、冷静に考えてこのブログ自体が卑俗極まりないので気にしないことにした。タイトルが既にエロ小説だし。


いわゆる自分で慰める時のオカズをどうするか、という系の話である。


私はあまりピュアオタクとは言えず、どちらかというとマルチプラットフォームオタクなので、オカズの範囲はわりと幅広い。エロ漫画も読めばエロゲーも遊ぶし、一方エロ小説も読むしエロ動画は3次元のものの方が多い。それら選択はその時の気分次第である。


この「気分」についてなのだが、自分で認識する限り、「3次元エロ動画を好む脳」と「エロ小説やエロ漫画を好む脳」ははっきりと傾向というか、モードが違う。なんというか、切り替わり、みたいなものがある。


3次元エロ動画で抜きたい気分の時は、基本的にエロ小説やエロ漫画を読んでもあまり性欲が昂じない。一方その逆も然りで、エロ小説を読みたい時はエロ動画には見向きもしない。


これは、「ピント」の問題であるような気がする。


エロ動画、特に3次元エロ動画というものは、実際の性行為に極めて近いものであり、脳内で「翻訳」の必要性がない。自涜が実際の性行為の代替行為である以上、直接受け取れるエロで、性欲は極めて簡単に惹起されてしまう。


しかし、エロ小説やエロ漫画は、実際の性行為とはやや距離がある分、どうしても「翻訳行為」が必要になる。エロ読解と言っても良い。エロ小説を読んでエロ気分になるにはまず読解しなくてはならない。それは当たり前のことだ。


しかし、エロ小説に頭のピントがあっていると、エロ動画とは比べ物にならないくらい興奮してしまうのである。性回路が直接揺さぶられるような感覚。これは、もちろん小説が小説である分、3次元動画では不可能なファンタジー描写も可能であるという要素もあるものの、それ以前に「読解」という行為自体がエロ度を強くしている、という要素もあるような気がする。


料理を思い浮かべていただけば分かりやすい。素材をそのまま食っても美味いものは美味いが、調理を経ると更に自分好みの味に仕上げることが出来る。エロ小説は、「読んで読解する」ことによって、自分の理想のエロに自分の中で偏向させることが出来る。これが、「読解が必要なエロ」の最大最強の強みだと思う。


なので、頭のピントがエロ小説に合ってさえいれば、エロ小説はオカズ的な強さとして最強に近いのだ、ということをまずは主張してみたい。


ところで、「書く」時にもピントの問題というものはある。


エロ小説を書いていて分かったことなのだが、エロ表現がぽんぽん思いついてスムーズに書きまくれる時と、全然エロ表現が思いつかなくてなかなか筆が進まない、という時がある。


創作が出来ない、というのはとても苦しいので、出来るだけスムーズにエロ表現脳に切り替えるルーチンを見つけたいところなのだが、どうも自己分析をしてみると、これが「3次元エロ動画を観たい時」と「エロ小説を読みたい時」のテンションの差に極めて似通っているような気がするのだ。まあ同じものなんだから当たり前かも知れないけど。


つまり、エロ小説で抜きたい時こそもっともスムーズにエロ小説を書ける時である、ということであって、今後ともエロ小説に対する感性を研ぎ澄ましていきたいと考える次第なのである。