作為的なエロよりも不作為のエロの方が好きかも知れない、という話

例えばここに、「裸エプロン」というテーマがあったとする。二つの状況を設定する。


A.新婚いちゃらぶ夫婦で、旦那が帰ってきた時に嫁が裸エプロンで出迎えてくれる
B.お風呂に入っている時に鍋を火にかけたままだったことを思い出し、慌てて下着とエプロンだけつけて料理に戻っている姿がたまたま裸エプロンに見えた


我々はどちらを選ぶべきか。あなたはどちらを選ぶべきだろうか、という話だ。
え?どっちもいい?そうだよな!!!!!!(この記事終了)となると本当にこれで終わってしまうので、敢えて私の好みだけの話をすると、私はBの方が好みである。そこにあるのは純粋な裸エプロンではなく、単に裸エプロンに見えるだけ、実際には裸ですらない偽裸エプロンなわけだが、そこには「不作為のエロ」がある。


つまり、「当然そうあるべきものとして創出されたエロ」以上に、「何か偶然の結果として、たまたまエロい状況になった」というエロは尊いし、大変えっちなのではないかなーと。これももしかすると、「少年漫画のエロはエロい」という話と通じるものがあるのかも知れない。パンモロよりもパンチラの方にえっちさを感じてしまう理論である。


全然違う話のように思われるかも知れないが、マッサージものエロビデオに注文をつけたいところもそれで、なんかどう見ても普通に愛撫しているようにしか見えないものを「マッサージ」と称してそのまま本番行為に至るマッサージものエロビデオは個人的に忌避するところで、「普通のマッサージをしていたらたまたま感じてしまった」というのは大変エロ尊い。これも「不作為のエロ」に該当するんじゃないかと思う。


あからさまな押し付けエロよりも、タンスの裏を見てみたらたまたま千円札が落ちていたというような不作為なエロ。こういった表現は大変尊いものであり、個人的にも希求していきたいところだが、けど冷静に考えると「ほーらこういうのエロいでしょ?」と大胆に迫ってくる幼馴染女子的な状況もエロいな、うん。(ナチュラルに論旨を崩壊させていくスタイル)