エロ小説における文章の解像度の話

最近考えていること。(結論は出ません)

以前、「ゲームの解像度」が話題になったことがあった。

どういう話かというと、簡単に言うと

・リアルなグラフィックであればある程、「ゲーム的な表現」が気になって世界観への没入が妨げられる場合がある
・グラフィックがリアルだからといって感情移入しやすいというわけではない
・レトロなグラフィックでも感情移入出来るゲームは超感情移入出来る

例えばの話。FF14というゲームはグラフィックがとてもきれいなのだが、「イベントシーンで、キャラクターが方向を変える時、いちいち「回れ右」みたいな挙動で方向を変えてから歩き出す」という仕様がある。

キャラクターを動かす仕組み上どうしようもないことなんだが、なまじグラフィックが綺麗なだけに、ついついそういうゲーム的な表現が気になる人には気になってしまう。

一方、例えばファミコンスーファミ時代のような解像度が低いゲームでは、そういうゲーム的な表現が気になることがない。結果的にゲーム的な表現が世界観への没入の妨げになりにくい、という話。

これは良し悪しの話ではなく、「単にそういう側面もある」というだけの話だ。だから昔のゲームがいいとか、だから最近のゲームはダメだとかそういう問題では全くない。それぞれの得意分野があって、その得意分野に則った表現が出来ると凄くいいよね、ということ。FF14FF14ですごーく面白いのでご承知いただきたい。漆黒のヴィランズ最高でした。

最近これと、「文章への没入感」「エロい創作のエロさ」「小説のスピード感」みたいなものと紐づけて考えることがある。

小説も、「微に入り細にわたって描きこまれていればそれでいい」というものではない、ような気がする。エロシーンを細かく書けば書くほどエロくなる、というものでもない。どこまで書けばいいのかなあ?というのは、エロシーンを書いていてすごく悩む。これはエロシーンに限らない。

肝心なのは、「統一感」であるような、気がしている。

つまり、エロシーン以外のところをさらっと流してエロシーンだけ細かく細かく書こうとすると、どうも統一感が失われてしまう。全編さらっと書くならさらっと書いた方が統一感があって、しかもさらっとした表現が好きな人に受ける。

「たくさん読まれている」と「優れている」は違うし、更にそれと「自分の好みである」は全く違うけれど、それでも色んな人の文章を読んでいると、「すげー緻密だな!!」と思うこともあるし、逆に「これだけしか書かなくてもいいのか?…いやけどエロいな…」って思うこともある。

これはもちろん好みの問題もあって、緻密なエロ描写が好きな人もいればさらっと流したエロ描写が好きな人もいるんだろうけど。1つ、「文章全体の解像度が統一されている」というのは結構重要なポイントのような気がする。

しばらく、「解像度の統一」にこだわって小説を書いてみようかなーと。

そんな思考メモ。