ラノベ作家の文章をそこらの中学生でも書けるかどうか、という話について

togetter.com

これを読んで思ったこと。


難しい点が何点かあるなーと思った。


ラノベ作家の文章の「ほんの一部」だけを切り取れば、それを書くのは確かにその辺の中学生でも可能だろう、ということ
ラノベにももちろんピンキリはあり、それ程うまくない文章や編集の手があまり入っていない文章の中には、確かに低質なものもあるのだろう、ということ
・ところが、その「ピンキリ」を判断するには、ある程度読む側にも読解力が必要だ、ということ


まず、自分でも創作をしてみて良く分かったことなんだけど、「作品としてちゃんと完結させること」は滅茶苦茶難しい。とてつもなく難しい。


ラノベのほんの数行だけを取り上げて、「これと同じシーンを書いてみろ」と言われれば、「そこらの中学生」に該当する人でも出来る人はそこそこいると思う。しかし、「ラノベ全体」について「これを書き上げてみろ」と言われれば、それは無理だ。絶対に、無理だ。ただ「同じ分量」の物語を書けるかどうか、というだけでも、10000人いてその中に一人出来る子がいるかどうか、くらいの比率だと思う。ここを無視して、「ラノベ作家の文章なんて」という言葉で概括するのはさすがに無理筋だ。


作品というのは完結させて初めて「作品」になるのであって、書きかけの小説は小説とは言えない。一部の「文章」だけ取り出しても、それは「ラノベ」ではない。


そういう意味で、そもそも「ライトノベルとして出版出来る状態まで書き上げた」というだけでもそれは常人の業ではない。同じく、イラストにストーリーをつけるとして、それがちゃんとストーリーとして完結しているものであれば、やはりそれを「書ける」というのは決して誰にもできることではないだろう。


これは、私自身自分で創作するまでは気付かなかったことであって、恐らく創作をしたことがない人には分かりにくいことなのだろうなーと思う。


ただ、もう一つの問題点として、「文章の良し悪しを判断するのは、読む側にもかなりの能力を必要とする」という点がある。


いや、イラストだって、ちゃんと「上手」「下手」というものを見分けるにはそれなりの審美眼がいるのだろうが、それでもぱっと見で「この絵好き!」「この絵上手い!」という程度の判定をつけるのはそれ程難しくない。なぜなら、そこまでのレベルなら、文章と違って「読解する」というプロセスを必要としないからだ。


文章については、良い・悪いを判断するにはまず読解しなくてはいけないし、まずこの時点でそれなりにハードルがある。語彙力も必要なら、論理理解力も必要だ。その為、玉石混交の状態で、「玉」が存在するのかどうか、というのをまず実感しにくい。


その為、こういう「ラノベ作家の文章なんて絵師さんどころか、そこらの中学生でも書ける」などという言説が出てくるんじゃないかなー、と思ったのである。実際上手い創作者さんの文章なんか見てると、「どういう頭してればこんな文章書けるんや…」ってなるし、「どんな脳構造があればこんな展開考えられるんや…」とか思うんだけど。


まあ、「文章を書く」というのも、当たり前だけど決して侮れないスキルなんだなあ、という話。